大阪府勤労者山岳連盟東日本大震災第5次復旧支援報告
理事長5次隊CL 園 敏雄
日 程 2012年9月21日(金)〜25日(火)
参加者 きたろうHC4名 てんの会3名 大阪志峰会1名 山の会こもれび1名
目 的 牡鹿地区における農地等の瓦礫撤去及び汚泥処理等
現地コーディネーター 石巻労山 岡良一氏
【9月21日(金)】
毎度のことながら集合時間21時前には全員が揃う。出発直前まで現地牡鹿ボランティアセンターの遠藤氏と今回の作業現場と内容の打合せをしていたので出発が少し遅れたが10人乗りレンタカーで労山合同事務所をほぼ定刻に出発する。
【9月22日(土)】
連休では有るが五十日でもないせいか、名神、北陸道ともに車は少なくスムーズに走る、急ぐことなく何度も休憩を取りながら走るがボランティア活動初めてのアクシデント、明け方4時半ごろ新潟中央ジャンクションの手前1km辺りで居眠り運転による事故を起こす、幸い人身事故に至らなかったが各所への手配で石巻到着は大幅に遅れ日和山公園のみ立ち寄りこれからの安全祈願と市内を一望して頂いた。食料買出し後宿舎の水沼構造改善センターへ。食事は滞在中女性2名を中心に参加者全員で料理を作り毎食美味しく沢山のご馳走が並びました。
【9月23日(日)】
今日から本格的なボランティア、今回は牡鹿半島泊浜地区、7時に泊浜作業場に着き、現地責任者の平塚さんから作業の指示を受ける。牡蠣殻にホヤの種を植付けているのだがムール貝が付着して養殖には不要なため取り除く作業だ、9時頃には東京から夜行バスで来た若者ボランティアも参加し作業場は大賑わい。作業をしながら地元の方と仕事の事、震災当時の事などを訊ねる、地盤が1m以上沈下し埠頭が下がり湾内の堤防も倒壊したままで復興の道のりはまだ遠いようだ。
午後からは波も荒くなり養殖棚から回収できないため、地元で10月に秋祭りが有るので鎮守の五十鈴神社境内の草刈りをお願いされお手伝いをする。2時頃から雨も降りだしたのでもう良いよと平塚さんから声を掛けられたので、明日また来ますと伝え、初参加のメンバーもいるので女川地域の被災地と大川小学校を訪ねる、更地とガレキの山で息を呑み、大川小では声が出ない、それぞれに合掌。その後上品の郷で入浴、汗を流して隣の地元産市場で食材を買い出し帰宿。鮎川で買ったホヤが美味かった。
テーブルに積み上がった牡蠣殻 黒いムール貝と痰を取り除く
見え難いが殻の赤い部分がホヤの種 2年物のホヤ
処理した殻を縄に挟み込む作業 作業場の窓や屋根は破れたままだ
【9月24日(月)】
今日も4時起き5時発ちで泊浜へ、地元の方の予想通り朝から海が荒れ岸壁には波しぶきが打ち上げられており、ホヤの仕事本日は無し、五十鈴神社の草刈りを鎌など道具を借りて引き続き実施、雑草やクモの巣で荒れていた参道から本殿周りが2時間足らずで、見事にきれいになった。海がますます荒れて来たので平塚さんの指示で浜から撤退。牡鹿ボランティアセンターに戻り、これからの拠点熊野神社境内の廃材処理や境内に向かう階段周りの雑草刈り作業、それを終えるとボランティアセンター職員の宿泊拠点周りの雑草刈りなどしながら、スタッフ遠藤君と立ち話、先程まで地元商工会の会議に出て街の再生について話し合ってきたそうだ、地域に住んでいる方のほとんどが漁業、水産関係を生業としておりそれが復興して行かないと自営業も成り立たないという問題を議論するが将来が見えないので鮎川地区もどうなるか分からない課題を抱えているんですよと聞かされる。単純に政治が悪い、スピードが遅いという答えを出すことも出来ず、やはり地元の方が行政に何を求めるのか声を出す事しかないのではと曖昧な返事しかできないのがもどかしい。
2日分の報告書を書いている間に遠藤君が漁師さんから貰った穴子をさばいたり
焼いたりしたものをどっさり用意してくれた、今晩のおかずと当てはこれで十分。
水沼への帰り道、温泉『華夕日』で汗を流す。
五十鈴神社境内草むしりを頑張る 階段周りも草刈り掃除ですっきり
本殿の蜘蛛の巣も払いサッパリと 熊野神社前の廃材撤去作業
上記4枚は今年末まで使用する牡鹿VCスタッフ事務所と宿泊地の熊野神社の整地作業風景です
今晩は石巻労山の岡さんが来て下さり初参加の4人に向け震災時の様子をビデオを活用しながらお話をして下さった、今回は大阪労山だけのセンター利用でゆっくりと交流が出来た。
【9月25日(火)】
大阪に夕方着けるよういつも通り6時にセンターを発ち、三陸自動車道に入り一路大阪へ、渋滞もなく夜8時頃無事森ノ宮に帰ってきた。
《まとめ》
初めての参加者4名は現地を見、ボランティア活動をし石巻労山の岡さんや現地の方と話をする中で地震、津波の恐ろしさ、被災者の生活再建の大変さを実感されたことと思う。ぜひ自身の会や様々な場で伝道師として活動して頂きたいと願う。5次目の支援派遣が出来たのは繰り返し派遣カンパを訴えて頂きました皆さんのお力と感謝しております。現地は更地化して行っていますが新たに瓦礫の山が出来ているなど復旧、復興には3・11から1年6ヶ月か月経ってもほど遠い状態です。引続き現地のニーズに応えて支援活動を続けて行きますので一度は行ってみたいと思っていらっしゃる方は応募にぜひ応えて下さるようお願い致します。
岡さんには、収穫やデナリ遭難の対応などでお忙しい中お世話頂き本当に感謝申し上げます。有り難うございました。
東北復興ボランティア 感想(2012.9.21〜25)
木村 順一
今回4次に続いて5次ということで、2回目で参加した。最初ころの状況はテレビの映像でしか見ていないが、前回と比べて確かにガレキは少なくなり、徐々に整備が進んでいるように見うけられるが、実感として、地元の方の話しを聞いても、あまり復興が進んでいるようには見えない。聞こえてくるのは、ガレキの処理の問題や、宅地整備や住宅の問題、農業の問題など。
今回の作業は、泊漁港でホヤの養殖のお手伝いだった。23日(日)の午後から天気が悪くなり、午前中だけホヤの作業をしたが、それ以降は悪天で船が出せないということで、午後と翌日の午前中は、泊の神社の除草と清掃、その後は鮎川の神社の除草と清掃、ボランティアセンターの除草だった。ホヤの作業は、20年くらい続けていた養殖が、今回の津波で全滅して再出発ということで、今まで順繰りに種付けから貝の掃除、収穫をしてきたのが、一から養殖をしていくのに人手が足りないということだった。また、除草や清掃は、日常の生活を取り戻すのに忙しくて、清掃などは後回しになるので、除草や清掃を手伝うと助かるとのことだった。
岡さんも言っておられたが、東北に観光目的だけででも来ていただいて、現状を見てもらうだけでもいい。山に登ったついででもいい。1日だけボランティアとして地元の方々と交流するという日程でもいい。皆が、東北の復興に関心があるというだけで、励みになるということだった。
今回の東北ボランティアで大変困ったのが、帰りの車の中で聞いていた「東北の山の歌」のメロディーと歌詞が、 ―あーあー 里山の緑の緑のハイキングロード― 耳の奥深くでずーっと、いまだに聞こえていることだ。
第5次ボランティアに参加して
これまで震災の情報はテレビなどマスコミ報道でしか知りませんでしたが、石巻市に行って津波で流された家の跡、瓦礫の山、地盤沈下した岸壁、大川小学校、仮設住宅、泊浜での津波で壊れた作業場で漁師さんたちがほやの養殖を頑張っておられる姿を見て、長い支援が必要なのだと思いました。
お世話して下さっている水沼の岡さん、泊浜の平塚さんの話しを聞いて報道されていない現実を知り、もっと国の支援や継続的なボランティア活動が必要なのだと強く感じました。日本人として力を合わせていかないと迫りくる南海東南海地震他人事ではないと思いました。震災から1年半が過ぎましたが現地の人達は話しを聞いて欲しいのです。ボランティア活動に参加し微力ながらお手伝いさたいと思います。ボランティアのお世話して下さった岡さん、平塚さん
きたろうの園さんありがとうございました。
てんの会 左鴻 敦子
第5次支援ボランティア
前回に次き二度目の参加、緊急を要する作業で我々が短期間の滞在でできる事は限られ少なくなったと思う。2日間、60軒の小さな泊漁港に行き、飲み物を差し入れしてくれた漁師さんに3、11の話しを聞く。
目にした風景、1メートル以上の地盤沈下、100年かかって築いた防波堤が壊滅、2日目は金華山沖での海灘事故の日、港に隣接する半壊の鉄骨平屋建の作業所波が床を洗うている、海に面した山肌は電柱高さ以上まで津波の痕跡。
自分の目で見た事、聞いた事を、語り部として多くの人に伝えるのも支援ボランティアに参加する意義があると思います。
てんの会 宮本 章夫
第5次支援ボランティアに参加して
9月21日(金)〜9月25日(火) レンタカーにて
9名の同じ目的を持つ人の集まりで和やかにスタートしました。5名の男性の方々が運転され(助手席の人が常に話かけて)夜通し運転され本当に感謝しています。
石巻市内と日和山公園、女川地区、大川小学校を視察しました。あまりにもひどい小学校跡地etc、本当に復興はなされているのでしょうか?
我々はニ日目、四時起き水沼公民館五時出発で泊漁港に向かい、ホヤ貝の養殖の手伝い(会に付いた小さいムール貝を取り除く仕事)をしたあと二日ぶりに温泉に入りました。
三日目は泊漁港に行きましたが波が荒く船が出ないので、神社の草引き、クモの巣払いをしてパンとお茶で早めの昼食をしました。現地の新築した家が流され18軒の家が全壊したことを聞き胸が詰まる思いでした。早く島を出ないと帰れなくなると話され後ろ髪を引かれる思いで島を後にしました。
ボランティアセンターに戻り次の仕事も神社の草刈りとガレキ運びと聞かされました、小雨が降る中誰一人愚痴を言う人も無く、汗だくになり頑張りました。
温泉に入りさっぱりし、買い物をして水沼公民館に着いたときは、暗くなり遅めの夕食でした。食事をしながら現地の岡さんから色々な話やビデオを見せて頂き自然の恐ろしさに涙が止まりませんでした。今日は遅めの床に就きました。
今回参加して貴重な体験が出来ました。岡さんの話では一日登山、一日支援と現地視察などのような形で長く支援して欲しいと話されていました。
労山の皆様ぜひ考えてみて下さい。
山の会こもれび 小林 佐智子
第五次支援ボランティアに参加して
てんの会 松田正俊
現地でボランティアしたことは、一日目の午前中に牡蠣にほやを養殖するために、周りに付着するムール貝を取る作業です。その後牡蠣を海に戻して、二年後成長したほやが商品として出荷されます。
作業をした泊浜漁港は、太平洋に面しており震災の時、10mの津波が来て漁港は壊滅的な被害を受け、冷凍施設も流され、牡蠣を漁船が引き上げても、その日中に処理するだけの人手もない状況です。多くのボランティアが参加したので、午前中に終わりました。
昼から、近くの神社の参道の階段の草刈、翌日は鮎川の神社の小屋の撤去された廃材の処分、近隣の空き地の草刈をしました。地元は、人手が無く、放置すると鹿が来て農作物を食い荒らす被害が出ると言っていました。
漁師さんと、昼食のパンを食べながら話をすると、ボランティアの人がたくさん来て話をすると楽しいですと言っていました。震災から一年半経ちましたが、瓦礫の撤去や床下の掃除などの作業はなくなりましたが、数年先を見通したボランティア活動の必要性を痛感しました。
ほやの植え付け
同行のメンバー