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大阪労山第51回総会を振り返って思う(愚痴る)こと

          2013年度 府連副理事長・入澤正芳(安治川山の会代表)


 大阪労山はまもなく創立50周年を迎えます。1960年(昭和35年)、登山を愛好する進歩的な人々によって「勤労者山岳会」が結成され、勤労者による新しい登山運動が提唱されました。その運動は短期間に全国に広がり、1963年、「日本勤労者山岳連盟」が結成されるに至りました。大阪では19662月に4つの労山が集まり第1回総会を開き、「安く、安全に、楽しく」のスローガンが広がるにつれて、各地の職場や居住の登山サークルが加盟し、また新しい労山が次々に結成されて、11月末には26の労山が加盟し、その後50年近い間に65団体1500名を越える山岳連盟に成長しました。

この間、組織部が毎年続けてきた初心者を対象にした夏山・冬山セミナー卒業生により山の会が19も設立され、連盟活動の大きな部分を占めるようになってきました。同時に、組織部が掲げた適正山岳会員数(30名以上)をクリアする団体は、65のうち14団体で、20人台が16団体、10人台が23団体、一桁台が12団体となっています。

 毎年3月に府連盟の総会があり、今年51回を迎えました。代議員総数87人のうち、午前中の出席57人、委任20人、午後は出席49人、委任28人、音沙汰のない会が7

 第51回総会は東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2年、復興と原発ゼロの実現を目指す集会や運動が全国各地で繰り広げられている中で開かれ、来賓の浦添全国自然保護委員長、園府連理事長の発言でも、復興のための更なる支援活動とカンパの訴えが強調されていました。

討議の中では、20名を切った会が倍増の会員拡大を成し遂げた会からの発言で、「このまま座して安楽死するか?それとも会を継続するか?」を会内で徹底して論議し、新人募集係を専任で置き、山行報告のメール発信、公開ハイクの継続、障害者ハイクなどの効果があったことなどに感銘を受けました。

 私は「安治川山の会」の創立1968.1.29以来、山行と会運営に関ってきました。また早い段階から連盟の活動にもかかわってきました。創立以来10年間は2030名程度の会で、会員山行のみを実施していましたが、会員が半減した1979年からは一般公開山行を毎月実施し、1993年の創立25周年には会員数も130名に達していました。その後徐々に減少し2003年の創立35周年では55名と半減していました。さらに減り続け、適正会員数の30名を切ってからは、今年2013年創立45周年ではついに、22名に減少してしまいました。

 一般公開山行は、依然毎月実施していますが、ここ12年は新入会員もなく、会員の平均年齢も65歳以上となり、山行リーダーや運営委員も70歳近く、健康で山が登れる間は会も続けられるだろうが、いつまで続けられるだろうか?など様々の悩みを抱えつつも、会員を増やさないことには減少するのは当然のことでしょう。何とかしなければ。

 会員が一ケタ台の会並びに10名台の会と会員の方には、このような悩みはないのでしょうか? 「座して安楽死する」道を選択して納得しているのではないでしょうか。