溝手康史氏講演会座談会「登山と法律」報告その3 座談会の記録(2)


                             大阪府勤労者山岳連盟 教育遭対部 高橋明代
                                            中川和道

大阪労山ニュース No. 324 ( 2013年2月号)に続く座談会の記録である.高橋がその場で入力した
速記に中川が加筆し,溝手康史氏,安藤誠一郎氏に添削をいただいた.お2人に厚くお礼申し上げます.

中)それでは次に進みます.登山学校での事故で,類似の経験は大阪労山にもあるので耳が痛い.
設例C クライミングのアプローチでの転落〜登山学校
 20XX年9月,登山学校が,剱岳にてクライミング実技を行っていた.コーチA(クライミング歴30年),
生徒B(クライミング歴5か月),アシスタントコーチC(クライミング歴1年半)の3人パーティーは,
八ッ峰Dフェースを登攀し,登攀を終えて下降路を降り始めた.Aは,Bに対し,ロープをつけていない
ので慎重に下りるよう注意したが,ロープは出さなかった.Bは,疲労もあってかバランスを崩して
滑落し,死亡した.
 Bの遺族は,「こんな危ないところでロープを出さなかったのはおかしい.」として,(1)コーチA
および(2)登山学校の校長Dを相手に,損害賠償請求訴訟を提起した.
原告側証人として出廷した登攀ガイドのX氏は,次のように証言した.
「我々ガイドが八ッ峰をご案内するときには,クライアントと終始ロープをつないで行動します.
たとえ易しくても,滑落の危険性があり,滑落したら致命的な結果を招く場合には,ロープを
出さなければならないのです.こんな易しいところではロープを出す必要がないという被告の主張は,
困難性と危険性とを混同しています.山岳会の人はロープを使わなさすぎるんです.コンテでは
止められない?おかしなことを言いますね.もっとロープワークに習熟してから来るべきなんです.」
(1)A,Dに対する遺族の請求は認められるか.認められるとしたらどのような場合か.
(2)ガイドX氏の証言に対し,どのように反論し,反証するか. 
(3)滑落したのがゲレンデ(※練習用の岩場)であった場合はどうか.
中)まず,ガイドX氏の発言の前で文章を切ってここまでで議論します.問(1)に関するご意見
  を会場から募集します.
H)生徒Bさんの技量は十分と判断して連れて行っているのであろうから,賠償は認められないと
思う.
安)第1点目に,連れて行ってもよかったかどうかが問題.第2点目に,普通はロープを出す場所
なのかどうか.連れて行って大丈夫かどうかの判断は表現が難しいが,敢えて言えば,この人は
いくらなんでもだめだ,という人以外はOKとまずは考えてよい.次に,ガイドは八峰の下降路を
ずーっとコンテで行く.しかし普通のクライマーはあの場所はコンテはやらない.考え方としては
慎重に降りれば落ちないし,もし落ちたとしてもガイドと違ってコンテの訓練はしていないので
もしコンテやったら一緒に落ちてしまうかも知れない.だから普通のパーティーはコンテやらないで
がんがん降りて行っている.
まとめると,この人は絶対危ないという人でない限りは,法律的な責任は負わないと思う.
溝)登山学校を実施するときに参加者の資格,適性の審査が重要.剣岳でクライミングする技量の
判断を間違えると責任が生じることがある.通常ロープを使わない場所であり,そういう大丈夫な
技量であればロープを使わないでも大丈夫だと思う. 
中)では,設例の後半に移ります.ガイドX氏の発言を読み上げます.そのうえで,(2)ガイド
X氏の証言に対し,どのように反論し,反証するか. 
安)このかっこ書きの箇所は私がかつてガイドさんに言われたそのままを書いた.なぜロープを出
さないんですかと問われ,「簡単な所なので」と答えたら,危険性と困難性を一緒にしてはいけない,
落ちたらアウトならロープは出すべきだとこんこんと説かれた.裁判でこういう人が出て来たり
裁判所からもこういうことを言われたらこれは困るんではないかと思い,設例にしてみた.溝手さん,
ご意見はいかがでしょうか?
溝)ガイドの場合は安全確保義務が非常に重いのでショートロープを使う.ヨーロッパでもテレ
ビによく映っているように,ショートロープを使う.ガイドは常にロープで客とつないでいる.
日本でも同じで,落ちたら危ないという所では,ガイドはロープを使うべき.登山学校では,
ある程度のレベルの方が参加していれば話は違う.ガイドのような引率登山ではない.
そこを明確にしておく必要があると思う.
中)私たちはガイドさんの技術レベルが非常に高いことを知っているがゆえに,ガイドさんの言わ
れることは完全に正しいと思いがちである.また,中川のようにコンテの確保が大好きで,皆さん
もっと使って下さいと教えたい人にとっては,この指摘は難しい問題ではある.ざくっとまとめて下さい.
安)ガイドとは求められる注意義務のレベルも安全確保の技量も違う.ガイドさんの論理に引きず
られない,ガイドさんの論理はあてはまらないというのが大事だと思う.次に,「どう反証するか」
つまりどう反対の証拠を出すかだが,私としてはどうするかと考えると,現場に行いってビデオカメラを
回して多くの人々がロープなしでぞろぞろと降りて来るのを見ていただけば,それでもとロ−プを
出せとは言えないのではないかと考える.溝手さんはどう反証されますか?
溝)ほとんどの登山者がロープを使ってない事実は重要.私が重要と思うのは,学校の性格や位置
づけを押さえること.ガイドが八ツ峰で登山学校を実施すればショートロープを使って安全確保する
だろう.登山学校の性格といってもいろいろある.例外的なのは高所登山学校で,ここでは安全確保を
求めても無理.参加者も自己責任を自覚して参加している.登山学校ごとの位置づけと性格づけが重要.
中)中川も溝手さんも近藤和美さんの高所登山学校の卒業生.7000 mの高所を行動するのに,100 m
も200 mも離れて声が届かないかもという間隔でも「保護者的立場などない,自己責任で来い」と
いうのがパーティーの運営原則であった.みんなそれを承認して行動した. 
中)さて,次の問です.問(3)滑落したのがゲレンデ(※練習用の岩場)であった場合はどうか.
安)練習用の岩場なので八峰に比して危険性は一段と低い.したがって損害賠償が認められるのは
まれだと思われる.どんな場合にあり得るかというと,(1)明らかに技量不足の生徒さんであったのに
技量判定しないで行かせてしまった,(2)過去に何度も滑落が起きているところなのに懸垂しないで
クライムダウンで下降してしまったとかそういう事情がなければ特に責任問われることはないだろうと思われる.

中)次の設例に進みます.中川の実体験をもとに安藤さんが設例を作って下さいました.中川が救助を
したときは成功して無事生還しましたが,もし死亡させてしまったらどうだったかという設例にしました.
設例D 救助での事故
 20XX年1月,雪壁を単独登攀していたAが滑落し,大腿骨骨折等の重症を負った.Aは,痛み,出血がひどく,
自ら退避することが到底不可能であったことから,付近を登攀していたB,Cに救助を要請した.
Bは山小屋からスノーボートを借り,山小屋にいたD,E,Fも救助に加わることになった.
救助を開始するにあたり,トラブルを避けるため,Bは「あなたBに救助を要請します.救助に失敗して
私Aが命を落としても,責任を問いません.」との念書をAに書かせた.
 Aをスノーボートに乗せ,ロープで確保して雪壁から下ろすことになった.現場に強固な支点は見当たらず,
Bらは,細い木を3〜4本まとめてシュリンゲで固定し支点とした.
 Aを降ろし始めたところ,支点にしていた木が抜け,Aが滑落して死亡した.
 Aの遺族は,救助方法にミスがあったとして,Bらに対し,損害賠償請求訴訟を提起した.
 (1)救助方法に何らかのミスがあった場合,遺族の請求は認められるか.
  さて,会場からご意見をお伺いします.
H)認められないと思う.理由は,職業ではなくそこに居合わせた人が救助したから.かつ,そこに
太い木があったというのではなくて,細い木しかなかったのだから.
安)もうちょっと探せば立派な木があったのに,何でこんな頼りない枝で支点取ったんや?という場合は
どうなるでしょう? 責任はあるのでしょうか?そこの最前列の方とその後ろの方,お考えを.
I)それなら責任あると思う.
J)責任あると思う.明らかに太い木があった,後で考えても明らかに太い木があったのなら責任あると思う.
安)結論は,責任は負わない.ちょっとロープ延ばせば太い木があったという場合でも,責任は負
わないと考えられる.これは,けがをして放っておいたら死んでしまいそうな人がいてその人を善意で
助けたがちょっとミスがあって余計に悪い結果になってしまったという場合に,法律はどう解決するのかと
いう話である.民法698条に緊急事務管理がある.
中)「緊急事務管理」は非常に重要.帰ってからインターネット検索などで調べて理解して下さい.
  これだけでも本日来ていただいた成果がある.「緊急事務管理」と言う.
安)条文を読み上げる.
民法第698条 管理者は,本人の身体,名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理を
したときは,悪意又は重大な過失があるのでなければ,これによって生じた損害を賠償する責任を負わない.
(中川注:管理者とは設例では救助にあたるB,C,D,E,Fのこと).
今回の設例の事案のように,本人の身体に急迫の危害が及ぶのを防ぐために行動した場合,
悪意(けがさせてやろう,など)であるとか,悪意と同等と言っていいくらいの重大な過失がない限りは,
責任は負わない.そうしないと人助けはできない.この考えからすれば今回の事案では,3,4本まとめて
頼りない枝で固定したというくらいであれば軽過失はあると思うが,ほかに支点がないというのなら
軽過失ですらない.少なくとも重過失は無いという事案なので,遺族の請求は認められない.
念書については,念書があってもなくても責任がないことにはかわりない.意識がなくて念書が書けない場合も
あるので,念書は要りません.一筆書いてもらう必要もない,ということである.
中)中川は念書を書かせた.今回勉強したところでは,念書は必要ない.急迫の危害がある中で
いちいち意志確認をやっているよりも,早く助けろ,ということ.救助隊にとっては重要なポイ
ントだ.溝手さん,コメントを.
溝)緊急時の場合は注意義務の程度が軽減される.問題は急迫の状況があったかどうかで,これだ
けでは分かりにくい点もあるが,具体的状況によって判断される.仮に緊急事務管理にあたらない
場合でも注意義務の程度は柔軟に解釈される.ボランティアで救助活動を行う場合,これを事務管理
という.たとえば溺れかけた人を善意で助ける,こういうのを事務管理という.本日の講演の中で
先に述べた積丹岳の事例にこの設例は似ている.警察官の場合には職務なので職務上の注意義務がある.
この職務上の注意義務を怠ったかどうかが問題となる.
法的責任を離れていえば3,4本まとめて木がぬけたというのは登山者としてはまずい事態.救助の場合は
支点がぬけてはいけない.絶対ぬけないようにする,バックアップを必ず取るなどあらゆる手段を
講じないといけない.東京でゲレンデ的な岩場で救助訓練中に支点のボルトがぬけて重症者がでた事例では,
訓練中であるので損害賠償責任が認められた.支点の確実性が要求される場面である.
中)ここで救助者が無くなった時は?という問題を追加する.事故が起きた現場では救助者自身も
危ない. 例えば,Dさんが救助活動中に死亡したという場合はどう考えればいいのか?
安)けが人を背負ったりスノーボートを担いだりしている訳だから救助している人もミスで亡くな
る場合もある.救助していたDが死亡したときDに関しても緊急事務管理が成立するのかどうか?という問題だ.
怪我していないDさんに関しても責任は限定されるのか?(安藤さんの意見は「Bにとっても「急迫の危害」と
いえ,緊急事務管理が成立するのかの問題.安藤は積極に考える.自ら進んで危険な状況に身を置いたとしても,
「急迫の危害」であることに変わりはない.」)
溝手さん,いかがですか?
溝)いきなり難しい問題ですね.二重遭難で亡くなった人に対する補償の問題と考えよう.Dさん
に対する請求を事故関係者に求めることはできるのか.最初に事故にあった人,周辺の人に2番目に
対する責任があるのかは難しい問題.一般的に緊急事態なら注意義務は軽減されるだろう.
ここで二重遭難についてひと言.警察官や山岳会の人が救助にあたって二重遭難を起こした場合,
警察官は公務災害.警察官に協力して救助にあたった人は協力者としてある程度の保障を受ける場合も
あるにはあるが,基本的には補償を受けない.救助活動にあたる人は自分で保険に入るとか,自分で
手当をしておかないと基本的には補償を受けにくいのが現状である.遭難対策協議会のメンバーなども
二重遭難でなかなか補償をうけにくい現実がある.
中)私の場合,山小屋からの依頼を重視した.要するに自分から行ったのではなく頼まれたのだと
いうスタンスだったが,今のお話だと,二重遭難にあうと補償は難しそう.自助組織というか,
相互の助け合いの救助活f動は大切.