溝手康史氏講演会座談会「登山と法律」報告 その1 

                  大阪勤労者山岳連盟 教育遭対部長 中川和道

 

疑問から講演会へ

 弁護士溝手康史氏の『登山の法律学』(東京新聞出版局,2007年)37ページに「他パーティーの注意義務:善意の救助があだに」という例題がある.稜線から転落したBに救助を依頼されたAがテントの張り綱でBを救助中にその綱が切れてBが落下した場合,Aには法的責任が生じるだろうか?という例題だ.すぐ後の文章には「善意で行うのであれば,それなりの注意を」しろと書いてある.助けるにも責任がある?ではどうすればいいのか?と救助に携わる登山仲間と大議論になった.また,登山学校でレベルアップの議論をしたとき,リーダーを増やしたいが過度の責任を求められるならリーダーはやれないとのもっともな意見に立ちすくんでしまったことがある.この問題を解決するには法的責任の壁を突破する必要があるのだがリーダーの法的責任の範囲が私たち大阪労山メンバーの多くにとっては未知の問題であった.そこで今回,溝手康史氏をお招きし,登山と法律とくにリーダーや救助の法的責任についての勉強会を1027日に開催することにした.

大阪労山にはありがたいことに弁護士の安藤

誠一郎氏がおられる.そこで溝手さんのご講演のあと,溝手氏・安藤さんに中川が加わって座談会を展開し,日頃の疑問を掘り下げることにした.安藤さんが例題を5つも出題して下さったのでそれをもとに会場からの意見を求めて議論しようという企画を考えた.

 5月常任理事会での決定以来,教育遭対部で実行委員会をつくり,ホームページやメーリングリストで参加を呼びかけ,参加申込み人数を刻々とメーリングリストで公表した.チラシ配布は2度行った.昨年の山野井講演会では多くの受付窓口が同時に参加者を受け付けたためダブルブッキング状態となって日参加人数がつかめず,最後には大阪労山の会員は立見席でと呼びかけざるを得ない状況となった反省を踏まえて今回は,会場の標準定員100名をにらみながら参加申込み先を一元化して呼びかけを続けた.この取り組みは功を奏し,当日は110 もの参加となり会場は熱気にあふれる盛況ぶりとなった.

 溝手康史氏の講演は「登山と法律」の演題で液晶プロジェクターを用いて大要,以下の内容であった.

 

登山には山のリスクに加え法律上のリスクが

まず印象に残ったのは,登山のリスクには,山の自然からくるリスクの他に法律上のリスクがあること.よく知りうまく管理することが必要である(リスクの認識,コントロール,回避).

 

リーダーの責任:安全配慮義務と予見可能性

次に,あらゆる登山のリーダーには大小の差はあるものの安全配慮義務(あるいは安全確保義務)がある.リーダーに対する賠償訴訟がなされた場合,責任を重く問われる場合もあれば全く問われない場合もある.安全確保義務の責任の重さを測る尺度は以下のとおり.(1)リーダーと参加者の関係:自主判断ができないあるいは自己責任がとれない参加者かどうか.「連れていく」「連れて行ってもらう」の関係の場合、参加者の安全について責任を負うことになる.安全を確保する注意義務を負わされるので、能力を見極め無理のない山行をしなければならない. (2)社会的に要請される安全性の尺度:高校以下の学校では教育の側面がつよいので安全確保義務は高い.ガイドも高い.警察(やその救助隊)も高い.リーダーを回り持ちで担当する同レベル会員の会山行などでは低い.義務の高さは高い方から順に概ね,警察−ガイド−高校山岳部−登山学校−公開山行−大学山岳部・同レベル会員の会山行.(3)登山形態:普通の歩行で大丈夫なコースなら安全確保義務は低い.義務の高さは低い方から順に概ね,ハイキング−夏山縦走−沢登り・岩登り−冬山−冬の岩登りなど(引率登山の場合).海外のトレッキングでは荒れた自動車道路での落石事故も裁判例にあり場合ごとに異なる.(4)契約:「主催者はいっさい責任を負わない」は無効.主催者は参加者にリスク・危険性を十分に説明し納得を得る,参加者を選別し、能力を把握することで安全をはかる必要あり.(5)参加者の意識:何となく参加する,おまかせで連れて行ってもらう,リスクを受け入れようとしないとかいう意識はまずい.自らの能力に見合った山行に参加する、山行中に自らの安全に注意することが必要である.山行中の参加者の責任とは,転倒しないように歩く,体調を自分で管理する,他人にぶつかったりしない,などである.

テキスト ボックス: 座談会.壇上の右から溝手氏,安藤氏,中川. 以上の安全配慮義務違反の責任が問われるのは,危険が予見できたはずである場合について鮮明となる.登山学校ならば沢が増水しているのに入山した,悪天が予見されるのに入山した,一晩で50cm新雪が積もった斜度がきつい斜面に入った,受講生を選別せず通常より明らかに低い体力の受講生を受け入れた,などが問われ,「危険が予見できたのに安全配慮義務を果たさなかった」として責任あ

りとなる.

 

緊急事務管理の考え方

 民法689条に「緊急事務管理」が書かれている.「急迫の危害を被っている人を善意で助ける場合には,悪意又は重大な過失があるのでなければ,これによって生じた損害を賠償する責任を負わない」という意味で,助け合いの精神を広めようとする法の精神が読み取れる.「他人を救助するさい自分がミスを犯してその責任を追及されたら怖い.救助するのは,やめよう」という心配はないと考えるべきである.

 この考えに立つとよほど重大な過失でない限り法的な責任は問われない.座談会では,ボランティアの救助隊が細い木を束ねて作った引き下ろしの支点が破損してスノーボートが転落し,中にいた事故者が死亡した場合について「支点崩壊は明らかな過失.しかし,太い木があるのにわざわざ細い枝を使ったのならいざ知らず,細い木しか無かったのだから重過失とまでは言えないのではないか」などの討論がなされ,会場一同,深く納得した.

 さて本稿 冒頭の例題はどうか,皆さん,考えてみませんか?また,インターネット検索などで,「事務管理」,「緊急事務管理」などの意味を調べてみると勉強になる.「溝手康史法律事務所」で検索すると多くの事例が載っていて参考になる.

 

おわりに

今回の講演会座談会から得られた今後の教訓は以下のとおり.(1)実力があまりにも違うパーティーや,「連れていく」「連れて行ってもらう」というパーティーの場合、参加者の安全について責任を負うので、無理のない計画が必要.(2) 登山学校や公開山行などでは、リスクを十分に説明し納得を得た上で参加してもらうことが必要である.(3) 連盟は団体としての保険の必要性について検討が必要.(4)今回は法律的な責任を学んだが実際はそれだけではすまない.登山の道義的責任あるいは登山倫理の観点からも私たちの登山や連盟・会の活動を考えていきたい.

講演を快くお引受けいただいた溝手康史氏,圧倒的なパワーで座談会を牽引していただいた安藤誠一郎氏に本稿の校正をいただいたことも含めて心よりお礼申し上げます.実行委員会の高橋明代さん,徳野暢男さん,砺波亨さんにもお礼申し上げます.

この講演会座談会のテープを起こした全記録が大阪労山ニュースに順次掲載されることになっています.座談会の様子ももちろん克明に全記録を掲載していきます.興味をお持ちの方は大阪労山(http:// www.geocities.co.jp/Athlete/3063/index.html)までどうぞ問い合わせて下さい.続編を お楽しみに.

 

テキスト ボックス: 会場からは活発な発言があり討論は盛り上がった.