第2期統合初級アルパインリーダー学校 山行記録
北穂高岳東稜・滝谷クラック尾根の登攀 その1
藤森紀知・高田和孝・松田明博・中川和道
中川和道校長による総論
第2期統合初級アルパインリーダー学校は藤森紀知(Rocky),則友公子(豊中労山)の2名の受講生でスタートした.順調に日程をこなし,8/12夜-16に夏山リーダー第1回判定山行を迎えた.判定を受けるリーダー候補生は藤森である.登攀山域は昨年に続き北穂高岳滝谷とした.当初は奥又白をねらったが,不安定な天気予報で最も好天の8/15ですらどこまで登攀可能か分からない状況だったので,涸沢からの往復でねらえる滝谷に変更した.ルートはU級V級で登れる「入門コース」であるクラック尾根とした.
結果的には8/15にクラック尾根をきれいなつるべスタイルで登ることに成功した.12ピッチものルート図を自分で描き上げた藤森の健闘をたたえたい.また,14日には北穂高岳東稜も手中に収めることができた.ルートの記述にあたった高田和孝のがんばりを評価したい.昨年度リーダー認定を受けた高田が今回は藤森とペアを組んで東稜を登る役割を果たしてくれた.今回の山行は予想以上の大成功と評価できる.高田は来年以降,初級リーダーとして穂高に見参を果たす重要な足がかりを得たものと評価できよう.
クラック尾根の登攀では本番特有の浮石と堆石への対処が課題だ.今回B沢の下降で受講生が青ざめ,教育不足を痛感させられた(後述).浮石と堆石への対処は日本のアルパインクライミングのみならずヒマラヤでもパミールでも当たり前に必須のものである.関西には蓬莱峡という格好の練習場があるので,アルパインリーダー候補生には「浮石と堆石への対処」という科目を検討してみたい.
統合初級アルパインリーダー学校では,リーダー候補生はリーダーとしてメンバーを調整しルートを調べさせて山行計画を立て,山行中もリーダーを務めて全員を統率し,山行が終わったら,概念図・ルート図・天気図・テクニカルノートなどを含む山行記録を作りそれをメンバーにも書かせてまとめあげ,大阪労山ニュースに投稿する.本稿は,藤森が中心となってその作業にあたった.本稿を読んで,来年,我こそはと統合初級を受講して下さる方が現れることを期待したい.
藤森紀知リーダーによる山行の概要記録
概要
行き先:北穂高岳東稜・滝谷クラック尾根
目的 :無雪期のアルパインクライミングを計画しリーダーとしての到達度を確認する
行程 :大阪→上高地→涸沢→北穂高岳東稜→涸沢→滝谷クラック尾根→涸沢→上高地→大阪
日程 :2015年8月12日夜〜16日
参加者:藤森紀知(CL)・高田和孝(SL)・松田明博(コーチ)・中川和道(校長)
行動記録
8月12日(雨:気温未計測)
22:00に阪急山田駅に集合。中川車にて一路上高地を目指す。高槻辺りから雨が降り出し、幸先の悪い出足となった。1:36松ノ木PA到着。昨年と同じエリアに3人用テントを設営し、中川と高田がテント、松田と藤森が車中で仮眠をとる。6:10上高地に向け出発。(藤森)
中川の意見では、数日後に好天が予想できる場合、雨の日の出発はむしろ幸先の良い出足である。中川が30年前にパチンコルートを完登した時も台風前々日の出発であった。気象を読んでいい山を登ろう!とにかく結果を取ろう!(中川)
8月13日(曇りのち雨:気温未計測)
アカンダナ駐車場にて各人のザック重量を計測。中川19kg、松田18kg、高田23kg、藤森19kg、高田のザックのみ20kgオーバーと少し重めと感じたが、何故ザックが重たいのか後で知ることになる。
7:50発の上高地行きのバスに乗車、8:20上高地着。山行計画書を提出し、8:40に上高地出発。何時もであれば明神岳や前穂高岳が綺麗に見えるが、雨のため視界なく黙々と歩く。明神、徳沢、横尾、本谷橋で休憩を取り、15:05涸沢のテント場に到着。さすが雨なのかテントの数も少なく好適地にテントを張ることができた。
夕食は、高田が担当で味噌なべを頂いたが、食材が豊富で正直感心した。自分の会ではこの様な豪華な夕食は滅多に出る事は無いが、高田の会では普通との事。会によって食に対する考え方が違う事を知る。どうりでザックが重かった訳だ。(藤森)
8月14日(曇り時々雨:テント場12℃)
4時ごろから大雨に暴風。ついには雷も鳴り出し、周囲のテントからは本日の行動に関して激しい議論の会話が飛び交っている。我々は本日は悪天との予想に基づき停滞70%と割り切っているので睡眠を続行した。5:30起床。当初の計画では雨のため停滞する予定であったが、朝食を終え外の景色を眺めていると、やけに明るくなってきた。山岳総合相談所前掲示板の天気予報では、午後から雨との事であったため、このまま宴会に突入しようかと考えていたら、松田から北穂高岳東稜にでも登らないかとの提案があり、即決で登ることになった。ただ、山行計画書には北穂高岳東稜の行動計画が記載されていないため、この様な場合どうすれば良いか中川に問うと、テントに行動予定を書いたメモを残せばとの助言を頂き、そうする事にした。
早速準備し、8:25北穂高岳東稜を目指し出発。南稜登山道から別れ北穂沢をトラバース、途中でハーネスを装着し右俣を登り東稜稜線上に立つ。稜線を北穂高岳方向に進むと右側にトラバースする踏み跡(捲き道)が見られ、ゴジラの背手前まで捲き道を行く。ここで中川が青い顔。慌しく出発したため余分の防寒具をテントに残置したさい水を入れたペットボトルも残置したらしい。困った困ったと言っていたら、何と、途中で水場を発見。おそらく雨天後のみ現れる水場ではないかと思われ中川は天のお慈悲に感謝。ゴジラの背の核心部手前より稜線に上がり前方を見れば、先行パーティーが1ピッチ目終了点まで進んでいた。早々にザイルを出し、高田・藤森、中川・松田のパーティーで登攀開始。1ピッチ目は藤森と松田がリード、高田と中川がセカンドでつるべで後続する。登ると言うよりトラバースするといった感じでナイフリッジを前進。(中川・藤森)
以下、登攀記録を記す.「L中川−高田,L松田−藤森」とは、中川と高田がパーティーを組みこのピッチを中川のリード高田のフォローで先行しその後に松田がリードして藤森が後続して登ったことをあらわす。(中川)
1P V 15m〜25m (11:00〜11:15)リード:L藤森−高田,L松田−中川
大雨の中,ゴジラの背を通過する藤森.
2P V 20m〜30m (11:15〜11:35)リード:L高田−藤森,L中川−松田
ビレイをする松田の横をすり抜け、ナイフリッジを進む。リッジの右側にスタンスを取り、背をかがめて左手でリッジに手をかけて進む。後から来た松田はリッジに突っ立ったまま普通に歩いてくるので、バランスがいいなあと思った。ナイフリッジが終わったところはピンがなかったので、岩にスリングを掛けて支点にした。核心部を抜け、そのまま稜線伝いに進むと切れ落ちており懸垂下降が必要となるが、右下側にトラバースルートがあり、そちらを歩いて進む。(高田)
2ピッチ目終了点でザイルは不要になったためザックにしまい、そのまま北穂高小屋まで登り涸沢まで下った。テントに戻り、松田担当の夕食。松田お手製の茄子の浅漬けと特製の鍋で明日の鋭気を養う。(藤森)
8月15日(晴れ時々曇り:テント場11℃、北穂高岳頂上5℃)
0:50起床。早々に朝食を取り滝谷に向け出発。真っ暗のなか南稜ルートで北穂高岳を目指す。途中休憩時に満点の星空を眺める。ちょうどペルセウス流星群の極大の時間だ。流れ星を見付けては○○○と願い事をするコーチと校長であるが、○の途中で流れ星は消え無残にも願う事すら出来ない状態であった。北穂高岳頂上では、ご来光待ちとなったが、ご来光を拝む必要性があったのだろうかと疑問に思う。それにしてもとても寒い。(気温5℃。700hPa高層天気図のとおり寒気が来ている。後述の気象の項を参照。)
そしていよいよ取付探しの始まりだ。大キレット方面に小屋から10分程下ると、B沢入口が見えた。縦走路上の岩にはこちらに行くと危険の意味で白ペンキで×印がたくさん書いてある。気を付けて経路を観察する必要がある。B沢入口の大きな岩には白ペンキで「B沢入口」と大書されている(写真)が、この字は、縦走路からは見えないように配慮して書かれている。ここでハーネスを装着し5:58B沢下降開始。今までに経験したことが無いガレ場を下っていく。ひとつ間違えると、岩雪崩を引き起こす様な状況だ.恐る恐る下降していく。途中2回程懸垂下降し下ること約1時間、やっと取付き手前の迂回ルートに到着。高田は緊張のあまりのどがカラカラだと言う。解説書に書いてある「もろい赤いバンド」は見えにくく分からなかった。「岩棚の下に赤いバンド」の岩棚も分かりにくい。写真に示す矢印が最も分かりやすい。ここが実質の取り付きで、これを探すことが必須事項となる。(中川・藤森)
赤いバンドの崩壊部分の迂回ルート U 30m L中川−高田,L松田−藤森
本日は、中川−高田、松田−藤森のペアで登る事になっていたため、中川−高田ペアが先行して矢印の場所から取付いて右上に登り、迂回ルートを進む。中川はまず、浮石と堆石とは何かを学ぶこと、固い岩には指先さえかかればアクロバティックに登る強引さと、浮石にはそれをだまして登る繊細さとをあわせ持つことの必要性を説いた。高田は全ての岩を入念に手でたたきながら後続してくる。
後続パーティーがB沢を下ってきた。岩なだれを起こしながら降りてくる。取り付きに最後に残された藤森は恐ろしさをひしひしと感じた。取付きからは約30m程登り、そこから懸垂下降で20m右側に下る。懸垂下降点は2か所作られている。先行パーティーにならって高い支点から懸垂したが、結果的には間違いで下の位置からの懸垂が良かった。理由は、(1)高い位置からの懸垂はロープがはさまりやすい岩を通過せねばならない。先行パーティーはロープ回収不可能に陥っており、中川がはずしてあげなければ彼らは再度登り返す以外に解決策はなかったであろう。(2)高い支点から懸垂すると、誤って取付があるテラスの下側まで下ってしまう。我々も間違って下りすぎてしまい、登り返す羽目になってしまった。このピッチで、取付きを探すのが非常に難しい事を藤森は悟る。(中川・藤森)
懸垂下降到着点からクラック尾根の稜線まで U
40m L中川−高田,L松田−藤森
懸垂下降を終えて到着した地点には古いハーケンと古いスリングが残置されていた。ここから中川リードで固定ロープを張り、本来のクラック尾根ルートまで登ることにした。40m登ると写真で見覚えのある、「クラック尾根」の文字と矢印とが白ペンキで書かれた岩(写真参照)に着く、廣川健太郎さんのルート図ではこの場所が3ピッチ目の始点だ。中川はここにクロームモリブデン鋼のハーケンを1枚打ち足して2支点で確保点を構築した。後続の3人が登ってきて全員が勢ぞろい。さあ、次のピッチからやっと岩登りらしい岩登りの始まりだ。(中川)
1P V 30m (9:30〜10:05)リード:L中川−高田,L松田−藤森
滝谷の特徴は何と言っても本番独特の浮石と堆石だ。ヒマラヤがもろにそうだと労山大阪の榊原さんが盛んに言っていたものだ。藤森と高田が落石事故を起こさず早く学んでもらうため、最初のピッチだけは中川が先頭で登り2番目に松田が割り込む登り方をした。これ以後2P以降は互いにリードを交代するいわゆる「つるべ方式」で登ることとした。(中川)
このピッチはホールドが豊富なフェースを直上し、凹角を左上。松田の後続で登ったが、快適なピッチとなった。(藤森)
いよいよクラック尾根の登攀が始まったが、アプローチが緊張したので、それに比べると登りやすいように感じた。しかし、出だしでハーケンを回収するのを失念してしまい(藤森が回収してくれた)、気持ちには余裕がなかったのかもしれない(高田)
2P V〜X A0 40m (10:05〜10:45)L高田−中川,L藤森−松田
垂壁を直上しリッジに出て、リッジ沿いに登る。出だしの垂壁が難しいが、お助け紐がぶら下がっているので拝借。その上も難しくヌンチャクでA0し何とかリッジに出る。リッジ上は適度にホールドがあり高度感を感じながら進む。(藤森)
高田がいよいよクラック尾根初めてのリードだ。後続の中川は自分の方が緊張しているのを感じる。このピッチは出だしが難しい。出だしの垂壁を突破してテラスに上がると、固い岩の広いフェースが目前に広がる。高田はぐいぐい快適に登る。さすがなものである。(中川)
リッジに出ると、フェース右下のガレ場にピンが見えたのでリッジを登るのかガレ場を登るのか一瞬迷うが、ガレ場はクライミングにならないと思いリッジ沿いに進む。乾いたフェースはフリクションが効き,快適に登れた。先行パーティーが登り切った奥のピナクルでビレイしていたので、手前の岩(残置ハーケン有)をビレイポイントとした。(高田)
3P U〜V 40m(10:45〜11:25)リード:L中川−高田,L松田−藤森
中川先頭でがらがらで心細い岩稜をたどる。かつては信頼できるビバーク地であったという旧めがねのコルだ。すっかり崩壊したコルでの確保支点はせまくてお一人さま専用。中川が先行してここで確保しつつB沢を見下ろす。 B沢からコルまで一直線に登って来れそうだ。冬など、こういうショートカットもルートとして有効だろう。(中川)
ホールドが豊富な凹角をピナクルまで登り、トラバースする様に旧めがねのコルまで移動。少し太陽が出てきて暖かい。(藤森)
単に横移動かと思ったが、ピナクルの下りが少し難しかった。(高田)
4P V 15m (11:25〜12:05)L高田−中川,L藤森−松田
高田リードで先行パーティーの後をたどり、コルからW+クラックの下まで登ってピッチを切る。(中川)
垂壁を登りバンドでピッチを切る。残置のハーケンが少ない為、カムが有用。少し重たいが持って来て良かったと感じる。(藤森)
バンドに乗り上げるところで掴んだホールドが動き、ヒヤリとする。いい手掛かりがなく、短いスリングを奥の岩に掛けて乗り上げた。(高田)
5P V 20m(12:05〜12:30)L中川−高田,L松田−藤森
中川先頭で直上するクラックルート(W+)10mに取付く。ところがほぼ半ばで登れなくなり行き詰まってしまう。松田がクラックのある大岩を右から大きく回り込み、クラックの上部からロープを垂らして中川を救出。廣川健太郎さんのルート図でもこのクラックを登っているが、中川は登れなかった。中川のバツマーク1である。(中川)
バンドを右に回り込み、ホールド豊富なフェースを直上。直上するクラックルートがあるが、中川の様に上部のチムニーにはまる恐れがあるので、クラックに自信が無い方は、バンドを右に回り込む事を薦める。(藤森)
6P W A0 20m(12:30〜12:50)L藤森−松田,L中川−高田
クラックルートの核心部。ジャンケンクラック。2本のクラックルートと凹角ルートがあるが、リードと言うこともあり、支点豊富な凹角ルートを登る。(藤森)
藤森には7月ごろ中川がつけた「登り竜」というあだ名がある。核心部のこのピッチを松田は下馬評どおり「登り竜」藤森にゆずり、先頭リードで登ってもらう。第2パーティーリードの中川が割り込んで藤森に後続し、藤森のムーブを観察する。藤森は安定した登りで固い岩を楽しんでいるように見受けられ中川は頼もしさを感じた。(中川)
7P V 35m (12:50〜13:30)L高田−中川,L松田−藤森
ホールドが豊富な凹角ルートを登る。(藤森)
登りきるとガレ場に出た。いい支点が見当たらないが、さらに進むとロープが流れなくなりそうなので、小さなピナクルを支点にして座ってビレイをした。(高田)
8P T 15m(13:30〜14:00)L藤森−松田,L中川−高田
ガレ場のルンゼを登る。終了点をなかなか見付ける事が出来ず右往左往する。やっと見付けた2本のハーケンに流動分散で支点を作り、テンションをかけた途端2本とも抜けヒヤッとする。原因は、強度確認の怠りと、支点に対する力の掛け方の誤りであった。今回の山行で最も反省する点であった。(藤森)
藤森−松田パーティーはガレ場のルンゼの左側を進んでいくが、中川には右にしか可能性が見えないので右よりに登る。ハーケン2本を見つけ確保点とする。はるか上方に先行パーティーが見える。(中川)
9P V 30m (14:00〜14:30)L松田−藤森,L高田−中川
チョックストン手前を左上し、ルート図にあるガレたルンゼの途中で切る。ルートが不明瞭であったが、経験豊富な松田のリードで乗り切る。やはり経験は物をいう。(藤森)
高田リードでチョックストンを右側から登る。中間支点がやや少ないが典型的なV級の岩場である。(中川)
岩場の後半は支点が少なかったが登りやすかった。途中右側に岩に埋もれたハーケンがあったので細いスリングを使う。その後は傾斜が緩くなりガレ場となる。ロープがあまり屈曲しておらず流れたので、次の10Pも進み稜線に出た。B沢入口からほとんど何も食べていなかったので、稜線上で少し腹ごしらえをした。ここは大キレットからの縦走路がすぐ近くに見える。(高田)
10P T 10m(14:30〜14:50)L中川−高田,L藤森−松田
ルンゼ途中よりガレ場を登り稜線上に出る。終了点で少し休憩をとるが、じっとしているととても寒く辛かった。雨具を含め3枚着用。(藤森)
11P V 20m (14:50〜15:30)L高田−中川,L松田−藤森
ホールド豊富だが浮石が多い凹角を直上。ただ、後続のパーティーがぴったりついて来て、下からのプレッシャーと浮石のプレッシャーで快適に登る事が出来ず。もし私がスリップしたら、後続のリードも一緒にスリップしていたに違いない。適度な間隔を空けて登るのが鉄則であると感じた。(藤森)
12P V 20m (15:30〜15:50)リード:高田 藤森 セカンド:中川
松田
最終ピッチのリードを高田と私にと、校長とコーチの計らいで登る。ルート的には難しくはないが、ジグザグにトラバースする様に登っていく。このピッチも残置支点が少なくカムが有用であった。(藤森)
高田リードでついに最終ピッチを登る。上部の岩のトラバースを、何と高田がハーケンを打って突破している。いや成長したものだと感心した。(中川)
途中のピンのあと一歩のところが難しかったのでハーケンを打つが、松田によるとアンダーホールドがあったらしい。登り終えると北穂高小屋の裏側に出た。ボルトはなかったので岩にスリングを掛けて支点を作る。登山客が話しかけてきて下を覗き覗き込もうとするので、確保なしで身を乗り出さないよう注意した。登ってきた中川とがっちり握手し、クラック尾根無事踏破を祝った。(高田)
最終ピッチを登り終えると北穂高小屋の裏側に出てきて、登山客が物珍しそうに写真を取り話しかけてきたが、達成感と疲労感で愛想笑いすらする事が出来なかった。それに比べ校長は、楽しそうに登山客とわいわいがやがや、やはり経験を重ねる事がアルパインクライマーとして重要である事をしみじみ感じさせられた。
小屋でコーヒーを頂き一息いれてから涸沢へ下るも、足が重くよちよち歩きの状態だ.涸沢まで下り、ビールで祝杯をあげた。(藤森)
8月16日(晴れ:テント場11℃)
以下,次号の「その2」に続く.