大阪府勤労者山岳連盟第二次東日本大震災復旧支援報告

                           府連会長  園 敏雄 

日 程  2011112()6()

参加者  きたろうHC 10名、泉州労山 3名、労山つりばし 3

     大阪志峰会  2名、ピトンの会 1名 計19(男性13名、女性6)

目 的  農地の汚泥及びガレキ撤去

現地コーディネーター 石巻労山 岡 良一氏

 

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午後10時森ノ宮駐輪場前メンバーが早々に揃い八尾の大久保さん、きたろうの宇野さんから差し入れと見送りを受け出発、前回と同様のコースを取り、1時間半から2時間おきに運転を交替し一路石巻に向け走る。

11月3日()

 午前11時過ぎ石巻市内につき、今日は昼から神奈川県連の仲間と合流し被災地見学をすることを仙台辺りで岡さんと打合せしていたためスーパーへ直行、今日のお昼と夜明朝の食材、酒類を購入する。今回は食費として各自から5千円を集め、その範囲内で3日から6日の朝までの分を調達しなければならない、前回と違い女性のメンバーが加わったので余分な買い物はきっとしないだろう。13時頃労山支援隊定宿の水沼構造改善センターに着き具材たっぷりのラーメンの昼食をいただく。岡さんの迎えを受け一緒に市内を一望する日和山に、前回よりもガレキは整理され更地が多く見渡せた。次に神奈川の仲間との待ち合わせ場所の道の駅へ。合流して早速岡さんの先導で石巻、雄勝地区へ向かう、最初に子どもたちの7割が死亡、不明の被害を受けた石巻市立大川小学校へ、前回はまだ行方不明の子どもたちを捜索中だったので立入禁止だったが今回は校庭の中まで入れるようになっていた。私たちが伺う前に慰霊祭があったので(帰宅後に新聞で知る)学校玄関前に追悼の碑や祭壇に多くの花束が捧げられており見学に来られた多くの方と共に合掌する、その後山越えをして雄勝へ、こちらはでは公民館を訪ねる、屋上に大型バスが乗り上げたままになっており、この後に行った女川港辺りもまだビルが倒れたままであり震災後8か月経っても復旧が市外ではなかなか進んでいない事を実感する。夕食は肉、野菜たっぷりの鍋をつつきながら岡さんの司会で石巻各地の被災状況の説明を聞いたり、神奈川の仲間とメンバー、クラブ紹介などで交流する。

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 今日、明日と本格的な支援作業が始まる、初参加の方が多く興奮の為か5時前に起き出してガサゴソしているためやむなく起きる。朝食を済ませ、お昼のおにぎりを持ち今回の支援地牡鹿半島鮎川地区へ、センターから約35キロあり一時間かけて現地ボランティアセンターに8時半着、登録を済ませたあと十八浜(くぐなり浜と読む)の水田約10000u(3000坪)程の広大な範囲の瓦礫撤去を大阪と神奈川の労山計37名で始める。ガレキが有るため田圃の手入れができず2mを超える葦が伸び放題、その中に入り込みガレキを探しながらまた、葦を刈りながらの作業、水が溜まった所もあり足元は悪い、刈った葦をその上に敷き足場を良くしたり、ガレキ取り出し班、一輪車でガレキを搬送する運搬班、ガレキの分別班に各自分担するなど多くの知恵が発揮され感心する。石やコンクリート塊、木片、缶、ビン、家電製品、屋根だけ形の残った家、畳、布団、耕運機、海の家のシャワールーム、ボートなどなど様々なものがガレキと化し埋め尽くされている。前回も報告したが田圃に重機を入れることが出来ないので人手が頼りの作業である。今日のハイライトは屋根の解体、神庭現場監督の元、白川、下窪、沢村さん達が屋根の上に上り解体を始め20人ほどが撤去作業、2日で片付けたてしまった。私なんぞはこんなの置いておこうと思っていたがやるもんだ。天候も良く暑くもなく心地よい気温のなか4〜50分ごとに休憩を取り無理のない程度に作業をする、休憩時にはボランティアセンターからウィダーインゼリーの差し入れを頂く。昼食は十八浜の松林、風光明媚な静かな浜辺で、津波の被害がなければ村の方や漁師の方たちが秋の仕事に精を出しているのだろうなと思いを巡らしながら、おにぎりを頂いた。何もなかった分別地に木材、金属類、石コンクリート塊、燃えるもの、分別不能ガレキの山を作り15時に作業を終える。石巻市外の観光旅館のお風呂で汚れを落とす、ここも本来は観光客の訪れるきれいな夕日がお風呂から望める旅館だが現在は復旧作業に携わっている現場の方たちの宿として利用されていた。入浴後、今晩の夕食おでんの材料を買出しにイオンへ、女性陣の愛情がたっぷりこもった御馳走をおかずに、アテにして本日も楽しい宴会、交流、ご飯は岡さんが滞在中3日間とも新米を炊いて提供して下さった。美味しくて皆お代わりが進むこと。明日は千葉県連から36名支援に入るとの事、神奈川県連の責任者渡辺氏と大体の段取りをして就寝とする。

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 今日も8時半現地着、現場にはすでに千葉県連の仲間34名が来ていた。労山は総勢70名、JTBが募ったボランティア約80名、計150名程でガレキ処理、3ヵ所の分別場に見る見るうちにガレキの山が出来る。多きことは素晴らしい、すごい力を発揮する。勢いが余って時々要請のない水田外のガレキ処理もやってしまいボランティアセンターの青年に注意を受ける、大きなガレキを処理すると達成感が有るように思いがちで本当は水田を耕作する上で邪魔な細かな石や木片ビニール類などの不要なものを処理することが大事なんですよと言われ、みんな納得しそちらにも目を回し直す。労山以外のボランティアは男女とも青年達、せっせと甲斐甲斐しくよく動いてくれる。今どきの若者はとよく昔のおっさん、おばさんが文句を言っているが、なかなかどうしてよく働きますよ、ボランティアに行ってみようという心掛けでも偉いし体も良く動かしていることに今回も感心する事仕切りだった。お昼休み前には田圃の奥に有ったボートを若者たちが泥んこになりながら引っ張り出してきた姿を見て思わずみんな拍手で敬意を表した。14時半に作業を終え昨日、岡さんが是非見て欲しいと言っていた金華山を見学に行く、現場から車で20分ほどの所、金華山は島だが牡鹿半島との間の海が津波発生時海底が見えたとのこと、観光地でもあり大震災さえなければ多くの観光客で賑わって居ただろうが今はその影もない。展望に使ったホテルも客の姿はなく送迎用のバスが3台駐車場に止まったままだった。見学を終え入浴後、今晩は石巻労山の仲間が作ってくれたカレーが有るのでサラダと少しのアルコール、アテを買い込んで宿舎に戻る。夕食を頂きながら岡さんの司会で総勢80名余の大交流会、地域の区長、宿を提供して頂いた館長さんが歓迎と震災時の体験のお話をして下さる。それぞれ消防団、水道関連の仕事をなさっており避難の指示や、ライフラインの復旧などで大変な苦労をなさったことを話された、赤間宮城県連会長、新田宮城県連理事長の挨拶、石巻労山の2名の会員の方の震災体験のお話、各県連の参加者紹介などが続く、が後半部分はお酒が入り交換の会話が交錯し殆ど聞いていない、そのなでも大阪から参加している各会代表に一言ずつ感想と会の紹介をしてもらった。21時頃には交流会を終え寝る体制に入る、大阪は明朝早くに宿舎を出るので玄関に近い和室にさせてもらった。私は赤間会長や宮城県連の仲間と24時頃まで交流、お蔭で翌日の昼過ぎまで運転できない羽目となる。

11月6日()

 4時半起床、5時半赤間会長、宮城県連、神奈川県連の仲間10人ほどの見送りを受け宿舎を立つ、前回見学した奥松島経由で帰路につく、少しは片付いていたが復興はまだまだの感じで長い時間を掛けなければ復興は難しいのではと思いながら大阪へ20時頃森ノ宮に無事帰阪、第二次支援の任務を終えて参加の皆さんに感謝を述べて解散とした。

Ø        終わりに

第一次支援報告を受け新たに支援ボランティアの手が上がり19名に広がりをみせ大阪の仲間の心意気を感じました。また送り出すに当たり多くの会が派遣のための支援カンパに応じて下さったことに感謝申し上げます。これから被災地各県は厳しい冬を迎えボランティアに行くにも大変な要素が有ります。ボランティアセンターで聞いた話では被災地支援等従事車両証明は今年末で打切られるそうです。そうなると高速代などが実費となりボランティアが減るのではと懸念されています、これからも継続させるような運動が必要です。被災地県民を励ます意味でこれからも支援活動を続けて行きますので、ご協力ご支援の程宜しくお願い致します。

   

日和山から見た石巻港付近         女川港で倒れていた3階建てビル

                

 神奈川県連の仲間たち            大阪府連の仲間たち

   

 41回目休憩時のガレキ          流されていた家の屋根解体中

   

5日朝朝礼時の様子             5日朝のガレキの山

  

   第2集積場のガレキの山           4県連交流会風景